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( >д<);'.・月詠み 日々 細胞分裂・∵.

- ネットの深海から 泡沫の言葉を放ちます -

『ゆびわのいえ』

『短編妄想話』

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「ゆびわ」をなくしていることに気付いたのは、タワー型登録借地を昇った後だった。
がらんとした平地を前に、左薬指を見つめて呆然としていた。
「ゆびわ」が手元にないということは、身に着けているもの以外のすべてを失ったということになる。
電話も財布も、わたしの身分を証明するものも何もかもだ。
退社する時、ゆびわを使って「衛星プリンター 空-sora-」に鞄ごと預けてしまったものだから、この場では何もしようがない。
白くなった息を吐きながら見上げた夜空には、小さな輝きが広がっている。
その光のほとんどが衛星プリンターだ。
この無数に瞬く光こそが、当たり前のように続く何気ない日常を演出してくれていたのだと、今更ながらに思い知る。


 ー ー ー ー


それにしても、「ゆびわ」はどこでなくしてしまったのか。
しかたなく、上着のポケットに入っていた電車のICカードを頼りに会社までの元来た道を辿ることにした。
ゆっくりと今日の出来事を思い返してみる。
今身に着けている靴も服も眼鏡も、すべてが今朝方、上空から降り注ぐ「ナニカ」という万能物質から形成されて、プリントアウトされたものだ。
家から出た後、家を「衛星 空-sora-」に返したことから考えても、通勤時には「ゆびわ」をはめていた。
そして、退社時には衛星に鞄などを返し、手ぶらになったことから考えても、ほんの1時間前には手元にあったことは確かだ。
だということは、やっぱり退社から家に着くまでの間になくしている。
しかも、その時間のほとんどは電車に乗っている時間だ。
電車の中で何か不可解なことがあっただろうか。
いや、いつもと変わらない電車風景だった。
そもそも指輪というものは、一度はめてしまえば簡単にはなくならない。
指のサイズにぴったり合わせてオーダーメイドするものだし、意識して外す行為がなければ、何かの拍子に指から離れるということなどないはずだ。
無意識にでも外してしまったのだろうか。そんな自覚はない。

最寄り駅に立ち寄り、落し物の届けがなかったか駅員に尋ねたが良い返事はなかった。
再び電車に乗り、先ほど過ぎた景色を巻き戻していく。
車窓の外には、衛星から降る「ナニカ」によってタワーの平地に家が構築されていくのが見えた。
予定では今頃はもう家の中にいて、丁度昨夜から始まった20年ぶりの優勝争いを繰り広げている贔屓球団の試合をTV観戦しているはずだったのに。


 ー ー ー ー


会社の前まで難なくたどり着いてしまった瞬間、自分の中に試合終了の文字が浮かんできたような気がした。
門の脇の縁石に座ってうな垂れていると、残業していたのであろう同僚が目の前に現れた。

「あれ、帰ったんじゃないの?試合は?」

事情を説明すると、同僚は嫌な顔を見せずに対処をしてくれた。

「今、管理局に連絡したから、しばらくこの場で待つようにだとさ」

そう言い残し、その場を去ろうとする同僚に今どっちのチームが勝っているのかを問うたが笑顔を返すだけで歩みを止めることはなかった。


15分後、指輪が返ってきた。
目の前に上空から降り注ぐ「ナニカ」から人型のAIロボットが復元されると、取り扱いの注意事項や今回の問題の件についてをしばらく告げられたあとに、スペアの指輪を差し出された。
どうやら通信エラーで現物の「ゆびわ」までもがコード化されて「衛星 空-sora-」に登録されてしまったためだと説明を受けたが、確率的には宝くじに当たるほどの珍しいエラーらしかった。
とはいえ、会話のネタにするにも何だか信憑性の薄い話題になってしまいそうだと思うと、使えないなと心底残念な気持ちになるのだった。
だったら例えば、新手の窃盗団による手口だったり、実はわたし自身がAIロボットの身でテストされていて、担当者がうっかり設定をミスしたことで本人に悟られてしまった、などなど色々と空想してみたが、何もないタワーの上までたどり着くとどうでもよくなってきた。

「ゆびわ」を使って家を復元する。
上空から無数の「ナニカ」がいっせいに降ってきて、目の前で次々と積みあがっていく。
外面だけでなく、内面のあらゆる物体、家具や生植物、食べ物に至るまでを元の通りに復元される。
プリントアウト完了の色が指輪から発せられたのを確認して、自宅のベルを鳴らす。
いつも通りのタイミングで復元された妻がドアをあけた。

「ただいま。…ゆびわごと衛星に持っていかれるというエラーでごたごたして遅くなったよ」

「ほんとにそんなことあるの?そろそろ、あなたも私みたいに身体ごとデータに変えた方がいいんじゃないの?」

と嫁は言うが、わざわざ電車に揺られて移動するおつな生活が好きだからと反論しておいた。

まぁ、なにはともあれ、やっぱり自分の家が一番落ち着く。




 ー ー ー ー



 という、妄想話でした。