日々人 細胞分裂

- 泡沫の妄想を あなたへ -

「真相は穴の中」第八話(最終話)


少しだけ辺りが明るくなってきている。
急な坂道を超えるとひらけた場所に出た。
これまでの山道とは違った、漂う雰囲気の変化に驚いた。
思わず足を止め、周りをきょろきょろ見渡しているとシュウ兄が手招きした。
私はここに来るのが初めてだった。
昔話のようにして聞かされてきた「霊山の穴」を目前にして体が強ばっていた。
これからシュウ兄は穴の中に入っていくのだろう。
恐る恐るその穴をのぞき込むが何も見えない。
しばらくの間、まじまじと見つめるが闇の深さはつかめなかった。
穴から顔を離すと、シュウ兄はいつの間にか傍にある堂の階段に腰掛けていたので、私もそちらへ寄って同じように座った。
ここに来るまでの話によると、数年前にこの穴に入る処罰を受けた人物が一人。
まだ私が歳を与えられていない頃にシュウ兄の幼なじみであるラッカスという者がこの穴に下ったそうだ。
シュウ兄が村長と呼ばれる前、私達子ども等と遊びまわっていた頃の話になる。
しかし思い返してみたが、その人物の記憶がほとんどない。
伝え聞いて、そういえばそんな人が居たということを薄っすらと思い出したが、同じ村にいながらも私が詳しく知らない人、影のような人だった。
その影の者は、村の中でも随分と遠く離れたところに住んでいて、村仕事や畑の手伝いをする時以外には顔を出さない人だった。
人は死んでしまえばどんな人でもやがては忘れられていくのだろうか。

「…やっぱり、あの…穴の中に入るのですか?」

唐突に口にした言葉は、もうずっと聞きたくてたまらないことだった。
それが気になって山頂までついてきたようなものだ。
シュウ兄が次に口にする言葉が怖くてたまらなかった。

「いや、入る必要はない。…歳は減ったが零歳ではないからだ」

私の勝手な早とちりを責めることはせず、努めて冷静に返事をした。
二人きりで刑を執行するなんてことは、よく考えてみればおかしな話だ。

「これを、鎮めようと思うんだ。その為に登ってきたんだ」

シュウ兄は手持ちの袋から何やら包みを取り出すと、それをゆっくりと解いた。
その手には、薄っぺらい皮が抱えられていて、なんだか人の頭のように私には見えた。



ー ー ー ー



穴の外に出てから山道を下った。
穴の中で感じたことのない眩い陽の明るさには多少影響を感じたが、もっとおかしなことがこの身体の異変として起き始めていた。
頭の中に不思議な意識が流れ込んでくる。
そんな瞬間が度々やってきたのだ。
母親が生まれ育ったという村に差し掛かった時、若い娘の顔が浮かんだ。
その村は何やら人が走ったり歩き回ったりと騒がしかった。
物陰に隠れて様子を伺っているとその理由がつかめてきた。
どうやら数日前に村の娘たちがさらわれたことで揉めているらしかった。
すると自然と足が動き、その村を後にしていた。
勝手にさ迷い進む足にこの身を任せ、へらへらと腕を伸ばしては口にできそうなものを手にし食い散らかした。
やがて新しい村が目に入って来たが歩みは止まらなかった。
男たちに取り囲まれると、言葉の駆け引きが始まった。
勝手に喉から飛び出す言葉は少しこそばゆいもので、それは死んだあいつの口調によく似ていた。
穴から持ち出た、丸い金属の入った巾着を大柄な男に差し出すとこの村の仲間に加えてもらえることとなった。
自ら動く意識はなくとも勝手に身体は動き、知らない言葉を吐く。
死者の化身として、この身体が操作されるのは何故だろうか。
ふと、あいつが穴の中に入ってきてすぐの頃を思い出した。
小さな焚き火の前で怯えながら辺りを警戒するあいつを、少し離れたところでじっと観察していた。あいつの心境が少し理解できたような気がして小さく笑った。
あいつはこの身体を使って情報を集めていた。
連れ去った娘達は、村の男たちに番うことを求められた。
この身体にその気持ちが沸かなかったのは、暗闇の穴の中で生まれ育ったことが関係しているのだろうか。四肢や顔がのっぺりとしていて、手の指は一つにまとまったような歪な形をしている。あいつの前でも隠していたが、穴の外の世界では常に隠し続けることが賢く生きる術のように思えた。

それから間もなくして、大柄で無尽蔵の体力を備えた独りの男が、娘たちを取り返しにやってきた。
時折り脳裏を過った娘がいたが、その娘の小屋に男達が入る前の日のことだった。

村の男たちは必死に娘たちを追ったが、それを独りの男が阻み、次々となぎ倒していくのであった。その姿は離れて様子を探るここにまで瞬時に迫ってくるような油断ならぬ恐ろしさで、何かを宿しているかのような別次元の力を使い圧倒していた。
やがて娘たちが元の村へと帰る見通しが経った頃、この身体に異変が起きた。
視線の先にあの娘がいた。
全身で息をする男のすぐ傍らに。
何度も頭に浮かんだあの娘と独りの男がそこに居る。
その光景を目前に、身体も思考も完全に自由を失い、いつの間にか手にしていた刃物を男に向かって振り下ろしていた。
気が遠くなる最中、あいつの心を感じた。
それは枯渇した命への強い憧れと嫉妬であり、この世に命を持って存在する全ての者へ対して向けられた激しい憎しみの心であった。



ー ー ー ー


相手の命の心配をしている余裕などなかった。
ラスはこれまで見たこともない形相で俺を本気で殺しにかかってきた。
これまでの誰よりも強く感じられたのは、死んだはずの男が襲ってくるという不条理な展開以外にも、様々な違和感が俺の動きを鈍らせていたからなのかも知れない。
互いが全身に傷をつくり、血まみれになりながらも、最後まで立っていたのは俺だった。殺しはしなかった。
違和感の真相を探るべく、気絶しているラスの元へ近づき顔を覗いた。
顔は確かにラスのモノだったが、こいつ自身は全く見覚えのない偽物だった。
こいつはラスの顔の皮を被った「何か」だった。
少し離れた所にいた娘が駆け寄ってきたが、同じように異変を感じたのか途中で立ち止まった。
「何か」から皮だけになったラスの顔を引き剥がしにかかった。
後ろで娘が気を失ったが、一思いに取り上げた。
両手で位置を定めないと簡単に歪んでしまうような、薄い一枚の頭皮だった。
目の部分が虚ろな空になっていて、それは何となく霊山の穴を思い起こさせた。



村長となり過去の記録を辿ったが、ラスの前にあの穴に降りたのは二十年以上前で性別は女と記されていた。
身籠った子を堕ろすのを断り、穴へ向かったとある。
隠されてきた儀式で身籠った子は許され、村の習わしから逸れた子は咎められる。
自分が生まれ育った村だとはいえ、自分が村の長であっても簡単に理解できなければ変えられないこともある。



ー ー ー ー



目が覚めると暗闇の中だった。
身を起こすと、傍らに歪な身体を隠すために覆っていた布が破れ落ちていた。
そして、その代わりのようにして大きな麻布が身体にかけてあった。
薄い手で顔をなぞるとあいつの顔は無くなっていて、のっぺりとした感触が伝わってきた。
ここは穴の中かと一瞬錯覚するが、見つめる先には月と星が浮かんでいた。
それは穴の中から見上げていたものよりも、ずっと広大で自由だった。



ー ー ー ー




「おい、村長が戻って来たぞ!息子も一緒だ!」

村長は村に入るなり、集会場に人を集めるように指示を出した。
これから語ることで、また減歳されることは覚悟の上だった。
自分を囲んだ多くの視線の前で、言葉を選びながら慎重に語り出した。
この村で隠されてきたこと。
村の外にある広大な世界のこと。
これから先、自分が村長でなくなったとしても、少しずつこの村を変えていきたいという自分の想いをゆっくりと語り出した。
これまで閉鎖的だった村を開いていく過程には、多くの衝突が生まれるのだろう。
たった今でも村人達の悩まし気な表情が重なり、不満の声が上がる。
先々のことを思うと重苦しい不安が身に迫り、声が詰まる。
足元に今朝方、一緒に戻った少年がいるのが目に入った。
憂いを感じさせながらも、それでもどこか強い眼差し向けてくれていた。
深く息をつく。身体は熱を帯びるのであった。



ー ー ー ー




霊山の山頂にまで登り、穴の傍へと向かう。
穴の脇に女物の小さな荷物が転がっている。
三日月形の曲線が入り混じった、露芝模様の小物入れだ。
薄汚れた梯子が穴の底に向かって垂れている。
覗き込んだその先、終わりはみえない。




ー ー ー ー