日々人 細胞分裂

- 泡沫の妄想を あなたへ -

とびだしくん

子どもの手をとり、行き交う車と距離を取る。
横断歩道の前で、信号が切り替わるのを待つ。
「…おとうちゃん」
私の娘は最近になって車を怖がるようになってきた。
不安そうな顔で見上げてくるので、つないでいる手を大きく上下に揺らしてみると少し表情が和らいだ。
目の前を忙しく横切る視界の向こう側。まだ赤信号だ。
不意に昔の記憶がよみがえってきた。
あれはまだ私が幼かった頃のことだ。


 ー ー ー ー


20年くらい昔のことだ。
全国の通学路で危険視されていた交差点を中心に、新型の飛び出し君が順次設置されていった。
飛び出し君といえば、それまでは黄色い帽子をかぶった子どもや人気キャラクターに似せた形の板が道路脇に立てられ、ドライバーへの注意を促す役割を果たしていた。
その進化版として登場したものが、この新型の飛び出し君だった。
試みが実施された当時は、その物珍しさゆえに大きな話題となった。
仕組みとしては、危険性の高い交差点や路地に備え付けられたセンサーが歩行者を感知すると、飛び出し君が特殊プリンタで瞬時に復元され、信号が青になれば手をあげながら道路を横断するというものだ。
これは映像ではなく、しっかりとそこに質量をもって存在していて触れることもできる。
もしも子どもや老人がうっかり車道へ飛び出したり転びそうになれば、体を挺して優しく制止できる。そんな確かな素材で出来ていた。
人々の反応はというと、はじめは不審がる者も多かった。
しかし、慣れてくると一緒に歩きたいがために、大人でさえも横断歩道の前で順番待ちをして行き来して遊ぶという姿が見られるようになった。
新型飛び出し君の誕生は一躍社会現象となったが、それが落ち着くのもはやかった。
この頃の飛び出し君は簡単な挨拶程度の会話のやり取りは出来たが、そのつながりが次の何かを生み出すということはなかった。
横断し終えると風船がしぼんだようにしてさっと消えてしまい、お呼びが来たらまた復元されてを繰り返すだけで、人との間に何かを形成したり蓄積していく関係性はなかった。
そして、ひとつの問題が起きた。
この飛び出し君を時間内にわたらせまいとする「いたずら」が全国で勃発していた。
バナナの皮で滑らせたり、油をまいたり、意図的に自転車ではじき飛ばすような事件も起きていた。
わたりきれなかった飛び出し君が地面に膝をついて静止してしまったり、手足が折れて横たわった姿がニュース映像として流されると、善良な人々の中には涙を流して悲しむものもいたそうだ。
その事件の後、飛び出し君は一時姿を消すことになったが、人々の彼を求める声は止むことが無かった。
横断歩道を渡り切るとすぐに削除される数十秒間の姿に、多くの人間はいつの間にか愛着を持って接していたのだった。
専門機関はその声を受けて改良することにした。
以前は授けなかった学習、記憶する機能を与えた。
その結果、飛び出し君は全国に散らばる分身と意識を共有し、与えられた範囲外の仕事もこなせるようになった。
一度見た顔を記憶し、犯罪ネットワークと結びつけることで信号待ちの犯罪者を監視カメラと連携して追跡したり、迷子や徘徊する老人の行方を瞬時に知らせたりと、監視見回り役としても大きく社会に貢献した。


 ー ー ー ー


信号が青になり、子どもと一緒に手を挙げて横断歩道をわたり始める。
実は私も、かつてはいたずらをしたことがある。
たしか学校の帰り道だった。
あの時は、子どもながらにむしゃくしゃしていたんだと記憶している。
私は別に学校で虐めにあっているわけでもなかったがクラスの人気者でもなかった。
一学期が過ぎ、二学期の秋になっても担任の先生はなぜか私だけ名前が出てこない。間違えたりする。
そんな存在感のない子どもだった。
いたずらを思いついたのはそんな自分に対して、一人の人間としての存在感を確かめたかったのかもしれない。
ターゲットはみんなに人気者のアイツだった。
切迫した子どもの私が生み出したいたずらは、何ともいえない、辛気臭いのものだった。
ガムテープを粘着面を外側に円になるように丸めて、飛び出し君の進路にペタペタと張り付けた。
今考えると、なぜそんな幼稚ないたずらを飛び出し君が回避しなかったのか知れないが、それは彼なりの人との接し方だったのかもしれない。
飛び出し君は足の裏でガムテープを引きずっていたが、歩行の妨げになるような期待したものとは大きくかけ離れていた。
先に横断歩道をわたり終えていた私は、ゆっくりと迫りくる存在がとても怖くなり、慌ててその場から逃げ出したのだが、次の交差点で復元された彼につかまった。
彼は私を叱るために追いかけてきたのではなく、私が周りを見ずに赤信号の道路に侵入しようとしていたのを身体を張って止めてくれたのだった。

「ごめんなさい」
あの時、謝る声は震えていた。
涙も少しくらいは浮かべていたかもしれない。
飛び出し君は静かにうなずくと、優しく私の手をとった。
それから自宅の近くの信号まで、途中で現れたり消えたりを繰り返しながら送ってくれた。
その間、何度も何度も手をとった。
 
その次の日からは、なるべく一人で信号待ちをするように意識した。
飛び出し君は私の名前もすぐに記憶してくれたし、何の盛り上がりもない、ただなんとなく話しかけた、どうして赤信号は点滅しないんだろうね、なんてつまらない話題にもバカにすることなく返事を返してくれた。
学校の時間割も会話の中で把握していたらしく、持ち帰るはずの体操服がないだとか、工作道具を家に持ち帰ったままにしているんじゃないかってことまで指摘してくれた。
やがて、いつも独りでいた私を気にかけて、私の知らない所で友だちをつくろうと協力してくれていたことを、彼の計らいによって芽生えた友人から伝え聞くこととなる。
でも、それを知った頃には思春期という難しげな時期を迎えていて、もう飛び出し君に気軽に話しかけたりだとかはしなくなっていた。


 ー ー ー ー


公けにされた情報の通り、飛び出し君がこの道路脇から消えることとなる最後の夜がやってきた。
残業を終えた私は、あの懐かしい信号機のある交差点に向かっていた。
日付が切り替わるタイムリミットは残り45分。
別にわざわざ地元に戻らなくても、今の生活の場で、横断歩道にさえ立てば会えたのだが。
そうしたのは私なりに、彼との別れは思い出の場所がいいと思ったからだ。
 
「…覚えてる?ぼくのこと…」
あれからずいぶんと時が流れた。
となりに現れた飛び出し君はあの頃と何も変わらない。
黄色い帽子にくりっとした目。そしていつでも半ズボン。
出会った当初は同じくらいの伸長だったけど、今の私は彼をずいぶんと追い抜かしてしまっている。
それでもなぜか話しかけるとなると、当時と同じように「ぼく」などと言ってしまうのだった。

「覚えてるよ!久しぶりだね」
飛び出し君は年月の隙間を感じさせない声色で、気軽に接してくれた。
地元を離れて人がごった返す都会に出ると、飛び出し君の傍には簡単に近寄れなくなった。二人きりであってもどこで誰が見ているとも知れないから、なおさら話しかけることもなかった。
飛び出し君も私という人間にはそういう対応がいいと判断したのか、何度か二人きりの時もあったが、お互いに話しかけることはなく、青になった横断歩道は二人の歩みを揃えさせることはなかった。
 
「なんだか、久しぶりに飛び出し君と話をしてみたくなってさ」
彼も知能を搭載しているわけだから、今夜で自分の役目が終わることを理解しているはずだ。
でも、そんなことを言い合わないあたりが僕らだった。
当時の家の前から通った小学校へ。そしてそこから折り返して自宅までの道を。
信号の前で後ろで、彼が現れたり消えたりしながら、懐かしい思い出話を続けた。
小さな頃、一緒に交わした会話の内容が、今では全て思い出話へとかわる。
静かな夜、お互いによく笑った。
やがて、かつて親と一緒に生活していた家が覗く、最後の信号機の前で立ち止まる。
傍らに、それまでと変わらず飛び出し君が現れる。
踏み出すと同時に、口から感謝の言葉があふれた。

「…ありがとう。ぼくは飛び出し君のことを、ずっと忘れないよ」
いい歳した大人が、子どものようにして顔を崩すなんてみっともない。
だから奥歯に力を込めて必死に耐えながら足を進めたが、無理だった。
そんな抵抗は、彼の温もりを前にかんたんにくずれてしまうのだった。

「いつも見ていたよ。君が少しずつ大きくなっていく姿が嬉しかった。こちらこそ、ありがとう」
右手に懐かしい感触があった。
彼が手をつないでくれていた。
わたり終えた先、振り返ってみても飛び出し君はもういなかった。


 ー ー ー ー


現在、あの飛び出し君は横断歩道脇に立っても現れることはない。
その要因となったものは、衛星や路上カメラの機能の向上、そして車の危険予測システムの向上だった。
不審な歩行者をネットワークで確認すれば、車は自動的に減速や警告、停止をするし、今では事故が起こりやすい主要道路は歩道が車道と十分な距離を置くようにしたりと建設しなおされる。
ガードマンとしての役割も、今ではより実務的なロボットが常々監視している。
飛び出し君の役目は終わったが、これら全ては飛び出し君の運用データが生かされているそうだ。


「おとうちゃん!手がべたべたするね!」
横断歩道をわたり終えてからも、ずっと娘の手を握っていた。
いつか娘も大きくなったとき、私と手をつなぎ、並んで歩いたことを思い出したりするのだろうか。





 ー ー ー ー


…という妄想話でした。