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月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を放ちます -

深海図書館


歪(ひずみ)というものがある。
どんな世界にも、何ごとにもだ。

この海底はきっとそういった場所の一つなのだろう。
ゆっくりと花びらが舞うようにして、光を揺らしながら本が降りてくる。
ようやく安楽の地に巡り合えたのだ。
今日も、どこかの言葉で書かれたいつかの時代の書物が、静かにこの海底に降り積もる。




ー ー ー ー


海底に溜まるゴミの回収を稼業としてから10年が経った。
深海には海流によって滞るスポットがあるのだが、そこには様々な海中ゴミが集まる。私はその内のスポットの一つで海底掃除をしている。
仕事は重労働で苦痛だが、前職に比べると報酬はかなり多い。
それに実は毎日が楽しみでならない。
いや、たしかに宇宙服を改造したような不自由なスーツを身に着け、グロテスクな面立ちの深海魚と共に海で働いている姿は華やかさのかけらもなく、体力勝負なところもある。そして、なによりもやはり危険が伴う。
でも、楽しみは仕事の後にちゃんと残してあるものだ。

海底から地上に持ち帰った産業廃棄物の中から目当てのモノを探す。
同僚にバレないように仕分け作業を手伝っているように見せかける。そうして一日の締めくくりは「ゴミ漁り」をして、今晩の楽しみを物色して持ち帰るのが常だ。

今日は表紙がドロドロに溶けた一冊の本を持ち帰ることにした。見た目は何について書かれているのか分からないほど損傷していたのに、中に残った1ページは泥に汚れながらもページ自体はとても綺麗な状態で残っている。
その1ページは文章ではなく、挿絵のようだった。

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狭い部屋に持ち帰ると、汚れた表紙と残ったページを離し、泥を優しく落とした後、クリップで挟んで丁寧に乾かした。

挿絵には争い事が描かれている。
大きな大樹を隔てて、その対立しあう者の一方は人の形をしていたが、もう一方は機械式のロボットのようだった。
初めてみたような気がしないのはなぜだろう。よくあるSF小説の一幕だからだろうか。
どこかもやもやとした気持ちを残したまま、一緒に持ち帰った魚を捌いた。
フライパンで焼きながらグラスに少し注いだワインを口にする。

狭い部屋を見渡すと、これまでに拾い集めた本から抜き取った一項が、段違いで不揃いに本棚に並び、壁には写真や挿絵が無造作に張り付けられている。
遠い昔に通った、図書館に少し匂いが似ている。


ー ー ー ー


一日の多くを深海で過ごしていると、ベッドの中でも海の底にいるような感覚に襲われる時がある。
天井に貼られた大きな電子ポスターは、私がこの仕事に就く時に持ち込んだ唯一のものだ。天体図が描かれていて、現在地の上空の星空を再現してくれるという代物だ。
幼い頃に憧れたのが宇宙飛行士と絵描き。それが今は海の底とは、人生わからないものである。
もう夢は捨てたが、この星空だけは捨てられなかった。

 

眠りの淵で、その星空から本が降りてくるのを見た。
本の背が崩れて糸が解け、緩やかに散る様は、いつ目にしても消えてなくなる花火を見ているようなせつない気持ちにさせられる。
海底に書物がたどり着く時、何故なのかは解らないのだが、決まってその一冊の本の最も重要な部分だけを残して朽ちているように思う。
本が最後の力をふりしぼり、残した遺形(ゆいぎょう)が表紙とぶら下がった1ページだったり、筆者のあとがき部分だけだったり、フィクションの中に忍ばせた現実話だったりする。
翻訳したものの、その多くは前後に手掛かりとなる章も節もなく、文化も違えば時代背景も様々で、ただの海底掃除屋の私には意味の分からないものばかりだ。
でも本には書き手と読み手、双方から賜った強い力があるのだと私は思っている。
そして、それに触れられているような感覚が嬉しいのだ。


…ふと、今日持ち帰った一枚の挿絵が気になり、ベッドから体を起こすとクリップに近寄る。
裏に手書きで一筆残されていた。
書かれてある文字は母国語で書かれていたので翻訳する必要などなかった。

「挿絵:愛しのハル」と書いてあった。

遠い昔のことで、私の記憶に残っていないほどにその仕事は小さなものだった。
あの頃はどんな仕事でも引き受けて絵を描いた。傍らには彼女がいた。

「ハル」

そう私を呼んでくれた艶やかな声を思い出す。
ほろ苦い思い出も同時にだ。
どういう経緯で私の元へたどり着いたのか。
この本が海底にたどり着くということが何を意味するのかは考えない。
ただ、今日はとても特別な一日だったということは確かだ。




ー ー ー ー


…妄想話でした。



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