月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を放ちます -

あかりのあるへや

そんなことがあるものかと、疑われて当然だとは思うが。
喧嘩をしてから実に4年間、私たち夫婦はずっと口をきかなかった。
子どもがいない、二人きりの家庭生活を振り返ってみて何があったか。
はじめは笑いの絶えない夫婦だったのにな、とそんな思いに耽りながら自室のベランダから身を乗り出したり、隅にある彼女が手入れをするプランターを覗き込んだりしていた。
指先ほどの小さな羽が葉の間で包まっていたので、それをつまんで目の前で浮かばせてみる。
羽はゆっくりと向きを変え、風に誘われるようにして柵を越えていった。
喧嘩の原因を遡って突き詰めれば、明確な答えが導き出せるかもしれない。
けれど、このようにややこしく凝り固まった喧嘩というものは原因が一つではない。様々な不満や鬱憤が絡まり合い、不穏な感情が蓄積された結果が見えない壁を形成して、こうしてお互いの間に距離を生んだ。
そして予め告げておくと、もうやり直しは効かない。
この喧嘩の解決方法というのが今さら解ったとしても、今更何も変わらないのだ。


 ー ー ー ー


このように言ってよいのか分からないが、離婚はしなかったのだから夫婦であり、同じ家で共に生活をしてきたのだから夫婦生活で、やはりよいのではないだろうか。
ただ、そこには一切の会話はなかった。
リビングで顔を合わせればどちらからともなく各自の部屋に姿を消す。
食事も洗濯も、同じ空間に身を置いておきながらも一人分を各自で終える。
それでいて、結婚当初の役割分担で仕分けたゴミ出しは私が常に行い、お金の管理は妻に任せてきた。
他人からすれば異常な関係だと思われるだろう。
しかしそんな僅かな接点も普遍的になるほど、連なる日々を同一空間で延々と繰り返せたのは、詰まるところそれでも何とかなってしまったからに他ならない。
私はといえば仕事は順風満帆で安定した会社で働き続けることが出来たし、趣味に費やすお金も妻が無言でテーブルに工面してくれていたのでこれといって不自由することはなかった。
一方の彼女はといえば、よく友人と外食や買い物、スポーツを楽しみ、平日休日を問わずに家を空けることが多かった。専業主婦でありながらも、私が一人暮らしのようにして勝手に食事や買い出しを済ませていた為、家事に追われることは一切なかっただろうと思う。
そんなことを今、もしも彼女に向けて告げようものならば、なにがこの上に積み重なるのだろう。

 

無言の生活が始まった当初は安易な気持ちで、またいつか元通りになるだろうと高を括っていた。
でもなかなか修復される展開は訪れず、猛烈な不安に襲われた。
取り返しのつかないところに行き着いてしまったのではないか。
家に居辛くなり、仕事が終われば病院の駐車場で一週間ほど晩を過ごしてみたりもした。ふいに帰宅してみて、リビングですれ違った彼女からは無視をされ、何も問い詰められなかった。
それは大切にしていたものが何かの拍子で壊れ、二度と元通りにならないものがこの世にはあるという、幼い頃に抱いたあの焦燥感。
そのじわじわと現実味を帯びてくるやるせない感覚が、日々延々と私に苦しみを与えた。
家庭でのいざこざは職場にも連鎖し、私はそんな苦しみから逃れるために一つの考えに至った。

「こんな夫婦の形があってもいいじゃないか」

開き直りである。
完全にその糸が切れることもなく、お互いが家族、夫婦として同じ家に生活している。案外、そういう家は私の所だけではないのではないか。
それが続く限りは、その中で幸せを拾い集めていければ、私たちはそれでいいじゃないかと。
こんなかたちの夫婦。
終わりなく続くような錯覚もあった。
でも、この度、それがやっぱり潰えた。


 ー ー ー ー


彼女が私の部屋に入ってきた。
喧嘩をしてからは初めてじゃないだろうか。
私は怖くて、自分の葬儀に向かい合えなかった。
と同時に、彼女の顔を正面から見据えることができなかった。
家の玄関で葬儀場に出かける喪服姿の彼女を見送り、それからもずっと家の中を徘徊するばかりであった。
長年異質な生活を共にしてきた彼女へ、最後の最後まで迷惑をかけてしまって、大変申し訳ないことをしたという確かな後悔が心の内に芽生えていた。
その念が妨げになったからなのかは知れないが、こうして死して尚、この家に不穏な業でとどまっている。
成仏だとか念仏だとか、天国だとか地獄だとか、生前にそのような死後のことを気にせず好き勝手に生きてきた報いなのかと妙な焦りを感じながらも、私はどこからも呼ばれずにどうしていいのかもわからず、ただこうしてここに居る。
彼女は部屋に入るなり静かなため息をついた。
私の部屋の電灯はずっと点灯し続けていた。
あの日、すぐに部屋に戻るだろうと灯りを消さず、深夜のコンビニに飛び出したのが最後だったからだ。
この部屋の灯りを消すには少しばかりコツがいる。
彼女は壁に設置されていたスイッチを何度かカチカチ動かしたが、一向に灯りが消える気配がない。
テーブルに転がっていたリモコンを手にしてボタンを押しても、ずっと電池切れのままにしていて当然消えるはずがない。
彼女は齷齪した後、もう一度壁のスイッチの前に近寄り、スイッチをゆっくりと強く押し込んだ。
すると部屋には暗闇が訪れた。
おみごとだった。

「接続が悪かったのね。

 強く押せばよかったのよ、あなたもね」

それから彼女は遠い目をしたまま私の方に向かっておやすみ、と一言だけ告げると、もう彼女はこの家には二度と戻ってこなかった。

 



 ー ー ー ー


…という妄想話でした。

おきてがみ

おきてがみ