月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を あなたへ -

白い空間『綱渡り』

 

私ごとだが、その、夢というものを見たことがない。
皆と同じように一日の終わりとしてベッドに横たわり眠りに入る。
そこまでは同じだと思う。
ただ、その眠りから先が大きく逸脱していく。
次の瞬間、眼前に広がるのは真っ白い世界。
なぜか私は現実世界で眠りに入ると「白い空間」へと誘われるのだ。
そこは見渡す限りに真っ白い世界が広がっていて、しばらくすると白いドアが無数に現れだす。
その内のドアの一つを潜らないことには現実には戻れない。
しかも、ただ潜ればいいというものでもない。
ドアの先に待ち受けている世界は現実世界とは少し違うのだ。
毎夜、私はいつも摩訶不思議な世界に身を置くことになる。
生きるために染まる、とでも言うのか。
その世界の環境や風土、起きている事件や抱えている問題などの情報が、時間と共に徐々に脳と体に染み渡っていき、気付けば私はその世界の住人になってしまう。
痛みも感じれば熱さも寒さも、空腹感もある。
命の危険にさらされたことさえ幾度もあるが、とりあえず現実世界で目を醒ましては、今日もこうして何とか生き永らえているわけだ。

 

 ー ー ー ー

 

今回の白いドアの先は薄暗かった。
真っ先に目に入ったのは、狭いスペースに階段状に積みあげられた沢山の観客席だった。
上を見上げれば、骨組みが窄んだ、高いテントの天井がぼんやりと見える。
独りきりなのかと思っていたが、徐々に、目の前の空席にはぬるぬると人影が浮かび上がってきては埋まっていく。
私は、というと裸足に薄いズボンを穿いているだけで上半身が裸である。
まだこの世界の概要が把握できない。
現状で何となく解ることは、ここは観衆に見世物を提供する場であるということ。
そして私はステージの中央に居て、観客席が埋まっていくのを見つめることしか今は出来ない。
なぜなら、重厚な椅子に手と足、そして腹回りを縄で括りつけられた状態でポツンと置かれている状況だったからだ。
向かいの観客席の方からやってくる、じっとりとした好奇の視線を肌で受け止めるのが辛い。
その内、この現実とは違う世界に身を置く、もう一つの私という人間の役目が次第に頭の中に浮かんでくるのが常だが、果たして間に合うのだろうか。
何だか、とても嫌な予感がするのだが。

 

「ヨウコソ オコシ イタダキマシテ アリガトウ ゴアンゼンニ」

突如アナウンスが会場に響く。
妙に青白いスポットライトがその声の主を探り当てた。
ステージの脇に、ピエロのお面を被った、四本足の太った動物が現れると片言の言葉を場内に発している。

「コレカラ ハジマリマス ゴチャクセキ イタダキマス ゴチソウ ゴアンゼンニ」

この狭苦しい会場にぎっしりと、三百人くらいの影が席を埋めているのではないだろうか。


照明が天上から降ってきてステージの全体を照らし出すと、観客席は暗闇に落ち、無数に光る観客の眼光だけが残った。
眩い光の中、次に私の目が捉えたのは舞台の袖に居座る男だった。
そうだ、彼はこの闇サーカス団の団長。
この会場の情報が少しずつおりてくる。
この闇サーカス団は帝国内を巡業をしている。
とはいえ、火の輪を猛獣にくぐらせたり、象を大玉に乗せて操ってみたり、空中ブランコで優雅に空を舞ったりすることはない。
その全容は、罪人をエンターテイメントと題して刑の執行を任されている一味であり、その見せしめを楽しみにしている者がこうして多く見物にくるということだ。
しかし、少しばかり状況が呑み込めてきたものの、私は何をされるのかは全く思い浮かばない。
私は何か罪を犯したのだろうか。
冤罪という言葉がないこの世界では、一度疑われ、囚われてしまえば裁きを受けなければならない。
そう、気分はとても最悪だ。

 

「サイゴ ニ イイタイコトガ アルナラバ イエヨ イエ」

背後から椅子に縛り付けられていた縄が切り落とされた。
自由であるようで、籠の中でもがくことしかできない。
怖い。
ライトに照らされたまま時間だけが過ぎていく。
既にこのエンターテイメントは始まっている。
なにか喋らなければならないのか。
やがて、ざわついていた観客席が完全に静まりかえってしまった。
恐れのあまり、私の口から出た言葉は自分でも酷くがっかりするものだった。

「俺は、何もしていない。だから、ちょっと待ってくれ」

団長が静かに幕の外へと消えていった。
体の感覚がおかしい。
操られているかのようにして、身振り手振りが変にわざとらしく大げさに動くのはなぜなんだろう。

「ああ、そうか。俺は誰かと勘違いされているんだ。
 そうなんだ。
 だから、さっさと家へ帰してくれ」

今、頭に湧き上がってきたことを口にする。
これでは、あたかも即興で作り出した嘘の話のようにしか映らないのではないか。
しどろもどろな、そんな自分への観客の反応はあまりにも薄い。
そして、こんな感覚があるものなのかと、全身のあらゆる神経が剥き出しになったかのように敏感になっている。
観客席から伝わる場の空気の流れを感じ取れてしまう。
同時に、観客の心情も。

「あの日は確かに国王様の姿を一目見ようと、最前列に陣取っていた。
 だけど、あのタイミングで周りの観衆を突き飛ばしたのは俺じゃない。
 国王様の服を泥で汚したのは俺じゃないんだ、本当だ!信じてくれ!」

私は喋っているつもりはない。
でも口が勝手に動く。
なんだかその声も私のものではない気もしてしまう。
恐らく、この不思議な世界で生きてきた私と、ほんの少し前に白いドアからやってきた私の意識が上手くつなぎ合っていないのだろう。
自分の中で距離を感じてしまうくらいに追いつかないようだ。
ただ、どこか冷静な自分を置き去りにしてまで訴えかける私がこっちの世界にはいる。
それはつまり、私が今感じている以上に事態は深刻で、危険なのだろう。
するとその時、超越した聴覚が観客席の声を捉えた。

「ママ、アイツ ナンテ イッテイルノ?」

小さな影の言葉を私の耳は拾ったが、その言葉を頭の中で何度か反芻していくうちに訴えかける私の声は徐々に小さくなっていって、やがて何も喋らなくなった。
口元に残された乾きが、絶望感を匂わせた。

団長がまたいつの間にか舞台袖に佇んでいる。
先ほどは見られなかった、小さな女の子を引き連れている。
その表情は定かではないが苛立っているようにも、不安げに見つめられているようにも感じる。
額から尋常ではない汗が滴り落ちてきて、足元でぴちゃぴちゃと弾ける。
団長が手をヒラヒラと返して煽っている。
何者かに支持を出しているのだろう。
これから何をされるのか。
団長と小さな女の子がいる舞台袖から、ぴかぴかと光を反射させながら台車が独りでに寄ってきた。
そこには一枚の白い紙が敷かれ、マジックペンが添えられている。


「…アーオ」

観客席からの、ため息と歓声が入り混じった小さな反応が悔しい。

「ミナサン キョウノ オダイ ハ

 0.1ビョウデ フトッタ オトコノ エヲ カイテチョウダイ

 イノチ チョウダイ ツカマエ ツカマツル」


「アァーォ!」

観衆のボルテージは最高潮だ。
そのタイミングを逃すまいと、カウントダウンが始まった。

「10、9、8…」

刑の執行内容はいつも直前に知らされる。
この世界で以前にみたとされる記憶が脳裏に過る。
0.5行で自己紹介、0.2秒で一気飲み、0.4秒で早口言葉。
いずれも受刑者は失敗に終わり、その場で団長に頭を撃ち抜かれた。

「6、5…」

そして、なんで今頃になって重要なことが頭に入ってくるのだ。
先ほど目にした舞台袖の幼い女の子は私の娘ではないか。
娘は私がこのステージに崩れた後、どうなるのか。
もう一度その娘の姿を探すが、照明が強まり周りが見えない。
娘の後姿が思い浮かぶ
絵を描くのが好きで、後ろから覗き込んでも私に気付くことなく、集中して手を動かしていた。
クレヨンを握りしめた、その小さな手が可愛くて。

「3、2…」

娘にもう一度あいたい。
触れたい。


「0」

「オォー…」


切羽詰まった時、人は自らの想像を遥かに超えた行動をとることがある。
顔面を思い切り、白い用紙に向かって叩きこむ。
すぐさま、後方から見えない力によって引き離された。

「ソレデハ エノ ハンテイ ノ ケッカヲ…」

目の前の用紙を見つめる。
酷い絵だ。

「…テンゴク デェース」


会場は拍手に包まれた。
台車に自分の顔を映し出してそれを見つめる。
顔面が真っ黒に染まり、鼻と唇からは止めどなく、だらだらと血が滴り落ちている。
びりびりと酷い痛みだ。
照明の明度が落ちると、観客席は突然空っぽになった。
戸惑っていると、舞台袖からは団長に促されて幼い娘が姿をみせた。
名前を呼ぶ。
世界にたった一人の、私の可愛い娘の名を。
私の形相に構うことなく、泣きながらよたよたと駆け寄ってくる幼い娘をしっかりと抱きしめると、その温もりに安堵し、私は声をあげて泣いてしまったのだった。

 

 ー ー ー ー

 

目が覚めた。
涙がまだしばらく止まらない。
鏡を見ると流血もなく普段通りの顔だが、真っ赤に染まった瞳は職場に着くまでには治りそうもない。

メガネで目元を隠して、いつも通りに通勤電車に乗る。
ドア付近に、通学鞄を背負った小さな女の子が立っていた。
こっちの現実世界では娘どころか結婚すらしていない。
でも、あの時に湧き上がってきた娘を想う気持ちは嘘ではなかった、はずだ。

電車が最寄り駅に近づく。
停車までを心の中でカウントダウンしてみる。

「5、4、3、2…」

あの瞬間。
マジックペンを顔に塗りたくって、頬を膨らまして白紙に突撃した。
あの時の覚悟。
ちょっと自分が好きだと思った。
電車のドアが開く。
駅のホームのざわめきが、何だか少しこっぱずかしい。

 


 ー ー ー ー




…という妄想話でした。
 


その他の「白い空間」のお話シリーズは、
ページ下、「本棚」の「白い空間『 』」におさめてありますので、
よろしければご覧下さい。