月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を あなたへ -

白い空間『灰色の均霑』


目の前が真っ白に染まった。
いつものことだ。
現実世界で眠りに入ると、私は白い空間に誘われる。
その原因はわからないが、そんな定めの中に私はいる。
いつものように白い空間を彷徨い歩いていると無数の扉が現れはじめた。
どれか一つの扉を選択し、どんな世界が待ち受けていようと踏み込まなければならない。
その先に広がる異世界に身を投じなければ私は眠りから目覚めることが出来ず、現実には戻れないからだ。
私はそれを物心ついたころから毎夜、繰り返してきた。
今夜もこうしてドアノブを回して押し開くと、その先には辺り一面、白色に染まった大地が待ち受けていた。
きめ細やかな白いものが天から落ちてきて、地面に降り積もっている。
雪か、と思い一歩を踏み出したのだが寒さなどは感じず、厚みのない綿を踏みしめるような不思議な感触に戸惑う。
周囲をふらふらと探るが建物も人も全く見当たらず、ただ私の足跡だけが残っていく。
やがて私の後をつける足跡が遠くに流れ、もう始まりが知れないほどに歩みを進めた頃、突然街の中に身を置いていた。
ようやくこの底知れぬ世界に時間が流れ始めた、そう思った矢先、真っ白に染まった数人の人を目にした。
鼻と口を布で押さえながら小走りで去るもの。
ガスマスクのようなもので顔ごと覆うもの。
この世界で蠢く悲壮感を感じ取り、思わず立ち竦む。


 ー ー ー ー


今回の扉の先に待ち構えていた世界は、潜る前とさほど変わらず白く、静かな世界だった。
多くのビルがそびえ立ち、軒先には店が立ち並んでいた、という痕跡が見える。
少し前まで賑やかな街だったことが伺えるが、今は違う。
どの建物も空から降り落ちる白いものにまとわりつかれ、そこで生きる人も白を被っている。
命のきらめきなど一切ない。
殺風景であり、すれ違う人々は目線を決して合わせようとはしない。
どことなく猜疑心が漂っている。
そんな中、私の目の前に一人の人間が向かいから近寄ってきて立ち止まった。
ガスマスクを着けている。背丈からして男性だろう。
彼は私の頭の上を突然撫でてきた。
それから、背負っていた袋から何やら取り出しはじめた。
ガスマスクの様だった。
金額を提示される。商売人のようだ。
それを目にした時、ようやくこの世界の情報が頭に染み入ってきたのだった。

扉の先の世界で与えられた私の立場、記憶、近況というものはいつも時間を置いて湧き上がってくる。
それは記憶喪失になっていた人間がこれまでの過程を思い出していくようなものだ。
その世界の持つ独特な習わしや文化、秩序、問題などは扉によって様々なのだが、前々からここで生きてきたような感覚が押し寄せると、元よりこの世界の住人という意識が強くなる。
先ほどの頭を撫でる行為は頭に積もった灰を払い合う、この世界での日常の挨拶を意味するものだ。
そう、延々と降りやまないこの白い細やかなものは灰だ。
この灰は生態に悪影響を及ぼしている厄介なものだ。
植物からは太陽を奪い、土壌をどこまでも弱らせ、多くの人々は明日の健康の保障もないままに生きている。
あぁ、そういえば。
私はと言うと胃袋は空っぽで、まともな水や食べ物を何日も口にできていないという、要らない情報まで脳裏に刻まれる。
身の危険を感じると、途端に具合が悪くなりはじめる。
男は急に体勢を崩した私に心配する言葉をかけながら、なぜかその言葉とは裏腹に私の衣服のポケットなどに手を突っ込み物色を始める。
商売人などではなかった。
男の悪友と思われる数人が近寄ってくるのがわかった。
なすすべもなく、空を仰ぎ見たまま私はその場に崩れ落ちた。


 ー ー ー ー


次に意識を取り戻した時、私は狭い部屋の一室に寝かされていた。
窓の外は白い灰が舞い落ちているのが見てとれる。
まだ現実世界には戻されないらしい。
希望のない未来。
この灰が降り積もる世界の現状が少しずつ浮かび上がって見えてきた。
それにつれて、一刻も早くおさらばしたい気持ちは募るばかりだ。

この白い灰の原因は人間にある。
昔、この国は意図的に巨大な休火山を揺り起こし、半永久的だというエネルギーの生産に利用した。他国に輸出し、また自国の生活インフラに当てて国を潤そうと考えたのだ。
そのエネルギー生産計画の一番の問題となっていたのが灰の処理だったが、空にも届きそうなほどの巨大な集塵タワーを併設することでその問題をクリアしようとしたのだった。
民はその運営維持費の負担を強いられたが、一時の困窮に耐えるとその後は医療も学費も含めた全ての生活費が免除され、国から手厚く保証された。
民は、これまでの人類史上顧みない幸福に身を包まれることとなった。
国は延々と潤い、皆はこの国は絶えず灰をコントロールすることに注力してさえいれば、この全世界を手中に治め続けられると信じ込んでいた。
ところが、裕福が生み出した副産物が新たな問題となった。
ゴミ問題だ。
発端はあまりに優れた集塵機能装置に目を付けた役人が、これをゴミ処理問題にも当ててみようと目を付けたことだった。
やがて節度のある計画がいつの間にか杜撰な管理に堕ちた結果、この灰はただの火山灰ではなくなったのだった。
噴火口にベルトコンベアで家庭ごみから産業廃棄物に至るまで様々な厄介物を運び入れた。
様々な化学薬品、化学物質が入り混じったものが灰と合わさり、良からぬものが空に上り始めた。
その結果、今や集塵機は機能していない。
謂わば死の灰は、人体にも生態系にも機械にも悪影響を及ぼしたのだった。
民は身を削る思いで修繕費を納め続けたが、頑なに機械は動こうとしなかった。
やがて、この国は廃れていくこととなった。
危険物質を含んだ灰のせいで、他国は本国に近づけず、本腰を入れた災害支援は実行されないままに数年もの時が流れた。
未だにエネルギーの恩恵を受けているのにも関わらずに。

 

「あなたはさ、なんで白昼堂々と歩いてたの?
 死ぬつもりだったのかな」

意識を取り戻してから程なくして、この部屋に住人が現れた。
その生意気な口調からは想像できない容姿で、随分と幼く見えた。
頭から足元にかけて、髪も肌も身に着けた衣服さえも全身が白色がかっていた。
この部屋にあるものも、先ほど歩いていた街並みも、全てが彼女のような色に統一されてしまっている。
そして私はと言えば、やはり同じような色をしてこの部屋に、街に溶け込んでいる。
扉の先で待ち構えている世界に身を投じれば、まるでそこで生を享けたかのようにして世界に馴染んでいくのが常だが、今回も例に漏れずのようだ。
ただ、まだその浮き上がってきた情報が物足りない。

 

「でさ。あなたはさ、いったいどこから来たんだろうね」

はじめての問いかけだった。
まさかわたしが睡眠時に飛ばされる悩みの謎を知っているのでは。
驚きを隠せないという私の顔を彼女は覗き込んで話を続けた。

「もしかして天上界ってまだ存在していて、そこから降りてきたとか?
 なんかあなたはさ、初々しいよね」

なんだ、そういう意味か。
天上界とはこの世界の富裕層が暮らした、灰も届かないほどの高層圏で生活をしていた人たちのことだ。
巨大な集塵タワーの上に広がった、広大な居住エリアで生活していた人々。
今はもう居ない。
死の灰によって機能しなくなった集塵タワーによって、そのエリアには灰が降り積もりはじめ、一時全ての灰を背負い込んだ。
やがて重みで天上界は地に向かって崩れ落ち、今は無きものとなった。
なきもの。
そうだった、この世界での私の立ち位置を今、理解した。
私はこの世界では天上界の住人ではなく、むしろそんな身分の正反対の所で生きていた。
灰が積もり始める前から、一貫して生活は乏しかった。
裕福だと思われている国の中にも、その恩恵に肖れない貧困層が少なからずある。
私はそこに属していた。
マンホールの中で生まれ、そこが住まいであり世界の全てであった。
地上に灰が積もり始めてからは、マンホールの底に広がるトンネル社会に上から人が入り込むようになってきた。
徐々にこれまでの人間関係が崩れ、最近では私の居場所も奪われ始めていた。
次第に仲間と距離が出来始め、やがて分け合っていた食料は手に入りなくなり、情報も入ってこなくなった。
新たな仲間を探し求め、ふらふらと地表を出歩くことが最近は増えていた。
しかし、改めて荒んだ世界では話しかけに応じる人など現れず、困り果てていた。
そしてこの日、不摂生がたたり灰色の地面に崩れ落ちたのであった。

彼女の話によると、ハイエナの様に獲物の匂いを嗅ぎ取った男たちが倒れた私に群がったという。
彼女はその光景を後ろで眺めていたそうだ。
男達は何も持っていない、ハズレだ、と言い残して足早に去ったが、おこぼれに肖ろうと待っていた彼女は念のためにと私に近づいてごそごそと所持品を漁ったそうだ。

「そんなハズレな私をどうして助けてくれたんだ」

「あなたはさ、なんだかほっとけなくてさ。
 あたしの勘だけど、まだあんたはさ、なんか出せるものがあるんじゃないかと思ってさ。
 その、利用価値がありそうな気がして」

彼女は少しだけ笑みを浮かべてながら、真っ白な世界を窓から見下ろす。

「最近は特に物騒になったものよね」

ベッドから体を起こして窓の前に二人して立つ。
背も低くて、華奢な体が余計に彼女を幼く見せた。

「さっき、あなたはさ、あそこ歩いていた」
 

彼女が指す位置を窓から見下ろすと、案外高い場所にいることがわかった。
廃墟となった集塵タワーの一室だと思われる。
爪先ほどの人が幾人も集まって争いを始めている。

「あの対立するグループ、実はどちらも私の属しているグループなんだ。
 あなたをさ、襲ったのもそうなんだけどね」

混沌とした世界で生き残るには、各々がしたたかさを身に着けなければ生存できない厳しさがある。
今、この国の民は先の知れない恐怖と共に生きている。
民が数十年分生活できるだけの食料と生活物資が備蓄されていると言われた配給マシーンはなんとか今も機能しているが、そこから生活物資を得られるのも、それもいつまで持つかはわからない。
だから、認証カードを奪って本人に成りすまして配給に肖ろうとする人たちが増えている。
もしかしてと、この彼女に似つかわしくない広めの部屋の理由を問うと素直に答えが返ってきた。

「この部屋?
 知らない人から奪った認証カードを使って侵入した部屋」

他にもあるよ、と彼女は何枚ものカードをポケットから抜き出して見せた。
元のカードの持ち主は現存しているだろうか。それとも。

「あなたはさ、もともとカードを持っていないんでしょ。
 …マンホールの中の生活ってどんな感じ?
 いや、地下トンネルで生きる人とこの前会ったんだけど、同じ臭いがしているからさ」

それから、彼女が私に一番聞きたがっていた質問がようやく飛んできた。

「ねぇ、マンホールの底が国外とをつながっているという話。
 それって今でも有効なの?」

それに関しては答えを持っているのだが、素直に彼女に話していいものかどうか悩んでしまう。

「すまない。わからない。詳しく、知らないというのか」

だから、俯いたまま嘘をついた。
この灰の降り積もる国から外にでる手段は確かにある。
昔から地下トンネルで他国と通じる道はあったのだ。
ただ、今、そこを潜るには多額の金が要る。
どう考えても、彼女にその金を用意するだけの力はない。
彼女は落胆する心を悟られまいという具合に、食事を用意するからと呟いてから姿を消した。
しばらくの静寂のあと、突然大きな揺れがこの場を襲った。
辺りが騒がしくなり、遠くで悲鳴が聞こえた。
最近は噴火活動を制御できなくなり、巨大な岩が降り注いでくることもある。
そこへきて自然と体を動かす自分に嫌悪感を抱いたが、この世界ではそうやって生きてきたのだから仕方がない。
揺れが収まり、建物から這い出てきた奴らが狙いだ。
彼女の居ない、彼女のものではない一室を振り返って、なにか書置きでも残そうかと思ったがやめておいた。
今は複数の集団に身を置くことで何とか生き永らえていると彼女は言った。
私は元より地下トンネルから這い出ては街を徘徊し、人から強請ったりくすねたり奪ったりして好き勝手に生きてきたようなどうしようもない生き物だ。
育ちが違う。
さぁ、仕事の時間だ。
喧騒に紛れ、手っ取り早く終わらせるとしよう。


 ー ー ー ー

 


「何となく戻ってきた」

無言で立ち入るのも失礼だと思い、だからといって勝手に姿を暗まして、またひょっこり顔を出して言い訳をするのもどうかと思ったら、そんなことを口にしていた。
しかし、先ほどの部屋に彼女の姿はなかった。
彼女は、二人分はきつかった、食べなよ、というメモを残していた。
メモに書かれた矢印を辿ると、窓の脇に、カーテンで隠すようにして缶詰が置いてあるのがわかった。
沈黙の中、缶とフォークがぶつかり擦れ合う音と、咀嚼して飲み込むまでの音だけが生々しかった。
食事が終わり、ベッドに横になったまま、そろそろ現実世界に戻れるのだろうか、などと考えていたら彼女が目の前に現れた。

「あぁ。いたんだね。
 食事は?」

目線で空いた缶詰を示すと彼女は頷いた。
その顔には疲労感が見てとれた。
体からは男の臭いが仄かに漂ってくる。
追加ね、とテーブルに缶詰が置かれた。
水の入った缶詰だった。

「…出たいか、この国を」

何でそんなことを彼女にこのタイミングで聞いたのだろう。

「他の国がどうだとか知らないしさ。
 別に、これといって。
 でもいつか、死ぬまでには一度くらい顔を覆ったりせずに自由に街を歩いてみたい。
 青空だって見てみたいし、缶詰以外の食べ物だって口にしたい。
 そんな時代が少し前には当たり前にあったんだろうけどさ」

じゃぁ、別に出なくてもいいのかと聞くと、彼女は口調を強めて早口でまくし立てた。

「だって無理なんでしょ。
 出たいよ、こんなところ。
 …まだまだあるよ。
 緑の生い茂る自然に触れてみたい。
 鳥の鳴き声を聞いてみたい。
 眩しいほどのお日様も、優しく照らしてくれるお月様も。
 夜空には輝く無数の星?
 全部伝え聞いたもの、本当にあるのかさえ知らない。
 でも、その全てを見てみたいさ!
 …でも、そんなことをあなたにさ、伝えたからって何も起こらない」

その時、少しだけ意識がぶれ始めるのを感じた。
予兆だ。
しかし、まだ現実世界に戻るわけにはいかない。
気がふれたわけではない。
時間がない。

彼女の腕を乱暴につかむと部屋を飛び出し、手を引きながら薄暗い廊下を一気に抜け出す。
彼女に当て布を渡し、極力灰を吸い込まなせないように努めながら道を選び、近くのマンホールを探し当てる。
そして近寄ると、鉄くずにしか見えないだろう工具を組み立てて重厚な蓋をずらす。
彼女を無言で穴の中へ促すと素直に従った。


 ー ー ー ー

 


薄暗い灯りが転々と並ぶ地下トンネル。
なぜか懐かしい。
反響する二人の足音が響き渡る。
怪しまれてはいけない。
自然に闊歩するのだ。
私の庭を。

「私は極力持ち歩かない。
 分散させて、隠す。
 それが私の身の守り方だった」

彼女の微かな震えがつかんだ腕から絶えず伝わってくる。
全部の隠し場所は回れなかったが、これだけあれば足りるのではないか。
彼女と向き合い、両手を差し出させる。
さらさらとした細かな灰が皺の間に入り込んでいる。
それを指先で擦りながら払い落としてみるが、彼女の本来の肌の色を救い出すまでには至らなかった。

「いいか。
 簡単なことだから。
 この通路をひたすらまっすぐ進むと最初の分かれ道がやってくる。
 進む先はこの上に白い丸印がつけてあるトンネルだけだ。
 するとまた分かれ道がやってくる。
 どこまでもこの印だけを頼りに進むんだ。
 出口は必ずやってくる。いいね」

彼女は頷くと、手渡された紙袋の中身をみて驚きの表情を見せた。
私は彼女の口元を塞いだまま進むべき進路に向き直させ、そっと背中を押した。
薄れ行く意識の中で、彼女の足音だけに耳を澄ましていた。

 


 ー ー ー ー

 

鳥の鳴き声が聞こえる。
眩しい朝日が執拗に顔を射す。
見慣れた寝室。
現実だ。
いつものように支度を済ませて会社に向かう。
駅の改札を抜けたところで、募金活動をしているのが目に入った。
何となく財布を開いて覗き込む。
最近はカードや端末機器での支払いが多く、現金を出すことが少なくなっていた。
あの時、彼女に手渡した金額には遥かに及ばない、微々たる硬貨だけが手元にある。
駅構内へ戻り、設置されたATMで現金を引き落とす。
募金箱に、これまでに入れてきたなかで一番多くの金額を投入し、その場を去る。
意味はない。
別にこれといって。






 ー ー ー ー



...妄想話でした。
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