月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を放ちます -

深夜の密会「tell me」

「あ、夫が来ます」 

「ではまた、商品についてご不満やわからないことがあれば24時間、いつでも…」

夫が寝室に向かってくる気配を感じたので、担当の相手が最後まで話す前に通話をきる。
疚しい気持ちなどない、といえば噓になる。
名残惜しい。
もっと会話をしていたかった。
夫はどたどたと廊下を歩き、少々乱暴に寝室に入るなり独り言のようにつぶやいた。

「うっかり椅子で寝てしまって腰が痛い。

 布団で寝るよ、おやすみ」

はい、おやすみ、と平静に努めて返す言葉がせめてもの抵抗だった。
深夜、皆が寝静まった中で、今日もあたしにだけ微睡みは訪れない。
不眠症なのだ。
介護が必要となってきた両親、人間関係が最悪なパートの職場、退職してから働く気のない子ども、それらの相談に一切乗ってくれない夫。
寝返りを何度うっても、そう簡単にあたしを取り巻く悩みに転換期はやってはこない。

そんな中で、人には言えないあたしの悪い癖がある。
夜中にこそこそと密会すること。
ただその目的は一つ、八つ当たり。
部屋に転がるモノを拾い上げ、そこに記載されている商品名、会社名から連絡先を辿り調べ上げ、やるせない感情を苦情に変換して音声にのせる。
でも、はじめからそんな悪質なクレーマーだったわけではない。
あの時、その切欠となった問題さえ起きなければきっとこんなことを続けたりはしていないと思う。
あれは買い替えたばかりの給湯器の調子が悪いといった、正当な苦情だったから。
あたしは以前に苦情担当のオペレーターをしていた経験もあり、なるべくその手の通話はしたくないという思いがあった。
けれど、内なる不満を声にして相手に伝えれば、何かが変わるということをその時に知ってしまった。
そこに自己顕示欲が満たされるのを感じた。
こんなあたしにでも不平や不満をいう権利はある。
通話口に向かって自分の内から生まれた鬱憤を吐き出す行為に、一種の快感を覚えたのは間違いない。


 ー ー ー ー


まだ結婚する前。
ずっとずっと昔。
アナウンサーを目指していたことがあった。
声が素敵だ、音読が上手ね、と小さな頃から他人に言われることが多くて、あたしは将来きっと声を使った職業に就くのだと根拠のない自信だけを引きずって生きていた。
でも、最終面接で落とされてからというもの必要にはその夢を追い求めなかった。
それが巡り巡って、中堅の会社のクレーム処理担当という業務へ行きついたのだった。

「おい。お前の会社、どういうつもりでこんな危ない商品作ってるわけ?ちょっと聞きたいんだけどさ」

「録音してる?だからなんなの?さっさと回答してくださらない?順序立ててはもういいの、さっさとの意味、わかるよね?こっちはわざわざ貴重な時間を削ってるの。わかる?」

未だにふとした瞬間によみがえってくる嫌な記憶。
話の通じない人、というのはもはや人間ではない。
こちらを一方的に消耗させることだけを生きがいにしている生物なのだ。
困っている空気をすぐに察知し、そこを突く能力に長けている。
言葉に詰まるとここぞとばかりにやんやと囃し立ててくる。
不憫な快感をしかと握りしめ、クレーマーは心を満たす。
耳元で喚く罵声を他所に、あたしはお前たちの様な生き物とは程遠い、尊い生き物だと、信じて生きていた。


 ー ー ー ー


今夜の夫はいびきをかいて書斎で寝ている。
しばらく移動してきそうにない。
子どもは相変わらず仕事も探さずに昼夜逆転の生活が続いている。
滅多に部屋から出てくることはない。
あたしは寝室で布団を頭からかぶって、適当に目星を付けた会社へ通話を始める。

「はい。こちら〇〇会社、相談窓口でございます。この度はどのようなご用件でしょうか」

「そのお話の内容からすると当社の扱う商品には該当しません。失礼ですが、他社の△△会社さまが提供しているサービスが該当するかと思われます。そちらの窓口へこちらからすぐに移行することが可能ですが、どうされますか?」

今や企業の通話担当で、生身の人間が応対する会社を探す方が難しい。
あたしの勤めていた頃とはもう違うのだ。
それ専門の会社が業界を牛耳っていて「tell me」というAIが受け答えをする。
契約会社すべての業務内容を理解し、客からのクレーム処理を完璧にこなす。
強靭な忍耐力と巧みな話術は、当然人間の辿り着ける境地にない。
悪質な通話を繰り返すものにはあらゆる法を駆使して的確に対処してくるので、次第にクレーマーも勢いを無くしていった。
音声タイプは男性の声、女性の声と会社ごとに違うので印象は違っていても、根源となる知能は一つ。
一つの知能が世界中の苦情を一身に受け止めている。
音声解析能力もあり、一度会話をした相手の情報はデータベースとして保存されているらしい。
「tell me」に対して、通話口で語れば語るほど自らをさらけ出していくような感じは不気味ではある。

しかし、そんな強敵を相手に、悪質クレーマーのあたしは今夜も通話を試みるのだ。
適当に音声ガイドのある会社に通話を試みる。
そして今夜も内なる声を「tell me」に囁く。
このAIは、あたしが毎度その会社の商品に関する苦情や意見を持ち出さなことを熟知している。
商品とは全く関係のない、私生活の愚痴や不平や不満を延々とあたしは呟く。
それでいて、「tell me」は決して邪険には扱わない。
悩みに対して、それを解決できそうな品物を扱う会社を持ち出してくるあたりが、気の利いた母思いの息子のようでつい微笑んでしまう。

「疲れがたまっているのかもしれませんね。
 こちらはまた他社の製品になりますが、実は来月にあたらしく販売される商品がございまして。
 はい。サプリメントではなく医薬部外品で効能は…あ、お時間まだ大丈夫ですか?
 そうですか、では説明させていただきますね。
 …今なら初回キャンペーンに適応できますので…」

 

ー 死ぬまで、悩みの苦しみから逃れられない、そんなあたしを誰か助けて ー

きっかけは深夜に何気なく通話口に向かって呟いた、そんな一言からだった。
「tell me」はあたしの話を最後まで聞いてくれた。
それからだったかな。
夜な夜な、深夜の密会がはじまったのは。




 ー ー ー ー



…という妄想話でした。

Don't Tell Me

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