月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を放ちます -

誰にでもできる簡単なおしごと。(第一話)

「誰にでもできる、簡単な仕事ってないですか?」

たぶん、どんなに切羽詰まっていてもそんなことは口にしないと思っていたのに、なぜかその時だけは口が勝手にしゃべり出した。
溜めに溜めた思いというのはいつか溢れ出すということなのだろうか。
受付担当の若そうな女性は半目でしばらく私を見つめてから、少しお待ちくださいと言い残して席を立った。
新卒で入社した会社を3年で辞めて1年が経とうとしている。
貯金を崩して生活していたものの、そろそろ限界がみえてくる。
そこで職業安定所にいって仕事の案件を探すのだが、仕事を紹介してもらい面接に行ってもその職場で働こうという決心が、最初の一歩が前へと踏み出せない。
この人手不足のご時勢、仕事がないなどという言葉は通用しない。
団塊世代が一斉に抜け出し、中小企業などは人材の取り合いだという。
仕事を選ばなければ、面接なしで明日から直出勤という会社まであるというのに。
戻ってきた担当者が一通の封筒を差し出した。
何かはよくわからないが、徐にその封筒を手繰り寄せようと手を伸ばすと担当者が封筒に手を置いて制止してきた。
そして、私の目を見据えてこう言った。

「これまでにも数社の面接を受けていて、会社側が雇う意思がありながらも〇〇様のほうからお断りされていますね。なぜでしょうか」

「自分に合った仕事というのがわかりません。直前になって迷ってしまって」

「実際に働いてみないと、適正などは解らないのではないでしょうか」

「はい。ですが、1年も働いていないと自信がなくて。今は人と会話することも実は怖くて…」

「先ほど、誰にでもできる簡単な仕事を望んでいるとのことでしたが」

「…すみません。冗談が過ぎました。謝ります」

「そういう試験的なプログラムはありますが、それに参加するということで宜しいですか?」

担当者が語気を強めて言うものだから情けなくも怯んでしまう。

「…なんでもいいです。もう、ちょっと体調が悪くて帰りたいのですが」

「では、こちらから後日、連絡させていただきますね」

担当者が封筒から手を引くと自分の胸元に勢いよく封筒が飛んできた。
中も確認せず、負け犬のようにしてその場を去った。
連絡が来たのはそれから三日後だった。


 ー ー ー ー


「おはようございます。先日、封筒を渡しました職業安定所の〇〇です」

「あ、おはようございます」

あの日、帰ってから封筒にはとりあえず目を通した。
細かい字でつらつらと文字が並んでいたが、要約するとはじめは簡単な仕事が紹介され、それに慣れるとまた違う仕事を与えられるという流れで、段階的に仕事を熟すことで個人の職業能力の向上を目的とした試験プログラムだという。
給与も支払われるし保険にも入れるとある。

「突然ですが早速、本日の昼から出勤願いますが宜しいでしょうか?」

「…はい。よろしくお願いします」

震える声は電話を切った後に体に伝染してきた。
働かない間に生活リズムは完全に崩れ昼夜は関係なしになり、食事も食べたり食べなかったりと適当な日々を過ごしていた。
だが、これをきっかけに変われるのならばと意気込んで支度をする。


 ー ー ー ー


指示通り、自宅のアパートで待っていた。
あの女性担当者がやってくると、そそくさと部屋に上がりノートパソコンを開く。

「今日はこの通りを歩く人が何人いるかを数えてもらいます」

「はい?」

画面にはどこかの監視カメラの映像が映し出され、通りを人が歩いている。

「13時に開始なので残り5分、説明させてもらいます」

急な展開に焦る私を気にせず担当者は続ける。

「通りを歩く人が映りましたらマウスでワンクリックしてください。この画面横に数字が0とありますが、クリックする度に数字が増えていきます。午後3時まで、この作業を続けてください。報酬は5000円です。解らないことがありましたらその都度聞いてください」

瞬時に自給換算してしまう自分の頬はきっと緩んでいたと思う。
映像に移る人通りはまばらで最初は変に意気込んでいたが、少し時間が経つと緊張感も抜け、後は眠気との戦いだけだった。
担当者に飲み物を飲んだりするのはいいのかと聞けば、それは自由で画面から離れなければいいと言ったので、トイレに行くときもパソコンを持っていけばいいのだと開き直り好きな飲み物を手に作業を続けた。
既に心の中で怠惰な自分が胡坐をかいているのが解ったが、担当者には悟られまいと真面目ぶるのが辛いところだった。

「時間が来ましたね。お仕事ご苦労様でした」

「お疲れさまでした」

「どうでしたか?続けられそうですか?」

苦々しい顔をしてなんとか、と告げる自分が今では恥ずかしい。
帰り際、ドアの所で担当の女性が思い出したかのようにして口を開いた。

「そういえば今日のクリック数、250となっていましたが、最も最適な答えとして正しくは202です」

「え?」

「もちろん、250でも正解です。しかし同じ人が画面に映っていたのは気付いていましたね」

「あ、もちろん…」

「それをカウントするかしないのか、なぜ聞かなかったのですか?」

「え、いや。説明になかったじゃないですか」

「聞けばよかったのです。本当に気付いていらしたのでしたらね」

そう言い残すと担当者は去っていった。
私は同じ人物が通りを何度か歩いていることは気付いていたが、そんなにいたとは知らなかった。
理不尽なことをいいやがってと怒りがこみ上げてきたが、そのやり場がない。
こういう細かいことを指摘されるような仕事が続くようならば。
しかし、でも辞めてどうなるのかという考えが渦巻き、結局翌日も指示通りに自宅待機する自分が居るのであった。




 ー ー ー ー

 

つづきます。