月詠み 日々 細胞分裂

- 泡沫の妄想を放ちます -

白い空間『道標』

目を閉じると直ぐに白い空間が広がった。
私は睡眠中には別の世界で目を醒まし、そこで時を過ごさなければならないという不思議な体質をしている。
その現象が起きるのは幼少の頃からで、毎晩ずっと続いていることだ。
白い世界をしばらく歩けば、徐々に視界の中に白い扉が浮かび上がってくる。
その扉の先には現実世界とは全く違う生き物が蔓延っていたり、異なった思想や文化の元に成り立った一つの世界が広がっていたりする。
しばらくその世界に浸っているうちに、私の脳裏にはその世界の常識や生きる術が染み渡ってくる。
まるで、初めからその世界の住人であったかの様に同化していくのだ。

今日は現実世界で仕事の疲れが溜まっていてへとへとだった。
目の前がチカチカして、頭痛が酷かった。
そんな時には、思い切って白い空間に身をゆだねることも一考だ。
命の危険に晒されることも多々あれど、現状としては毎日現実世界に戻って来れている。その結果だけを頼りにベッドへ飛び込んだのだった。


 ー ー ー ー


真っ白い世界にポツンと佇む。
先ほどまでの頭をぐいぐいと締め付けられていたような痛みは無くなり、視界もハッキリしている。
深く一息をついた後、前へと歩みを進める。
点々と現れだした白い扉を前に、今更迷うことなどないのだが。
過去に何度か試したが、白い世界から続く先の扉を潜らなければ現実世界で私は目醒めることはない。
ドアノブに手を伸ばしてゆっくりと回す。
腕から冷気が伝わってきた。
扉の先へと身を投じれば、徐々に白い世界に色が現れ始めた。

私は巨大な山の麓にいた。
その山の山頂は雲の中に隠れて見えなくなっている。
おい、と呼ばれる声がしたのでそちらに向かう。
歩みを進める間に、この世界の流れが頭の中に浸透してきた。
声の先には小隊長が居て、これから私は山に入らなければならない。

この世界には特定の宗教はないのだが、崇拝者のようにして皆が目指す霊山がある。
それは例えば終末的思想の元、病に侵されているだとか精神的に崩れたものが最後の救いを求めるが如く果敢に挑む、というようなものではなく、皆が一定の歳に達したときに習わしとして山頂を目指していくというものだ。
その歳は現実世界でいうところの三十歳に近いのだが、これに関しては上手く説明できない。
それは例えば配偶者が居れば、子が居ればという人生の節目で歳を重ねる民族だからだ。
だから生きてきた年数が長くても与えられた歳は幼いこともあるし、その逆だってあり得る。
しかも歳を重ねているから偉いということもなければ、それによって生活が浮き沈みすることもない不思議なものだ。
そんな我らが山を登る理由は諸説あるが、その中で最も古くから伝わるものが山頂に続く道を築いた時に神が降りてくるという話だ。
これまでに一度山頂を目指した全ての登山者は誰一人として麓へ戻っては来ていない。故に、山頂まで登りあがった者がいるのかどうかすら定かではないというのにその習わしを人々は頑なに守っている。
しかも一定の歳に満たなければ登ることはないのに、歳を重ねることを避けるという悪知恵のような考え方も我らにはない。
それは、山に道を求めた者たちの恩恵がこの麓に行き渡っているからであって、生と死が余りにも身近な存在だからかもしれない。
この霊山で命を落としたものは、必ず果実をもたらす樹であったり、栄養豊かな野草に姿を変え、一度根差した命が絶えることは決してない。

そんな中で、唯一の例外は私たちのような山守りという使命を背負っている者達だけが山の管理を任され、山道を上り下りしているという点だけだ。
主な仕事は途中で力尽きた者の「見送り」と、山で成っている食べ物などを収穫して麓へと持ち帰ることだ。
山守りは奇術師の施しによって生まれた時に有無が決められ、自ら手を挙げて名乗り出るなどの道は用意されていない選ばれし者とされている。


 ー ー ー ー


小隊長と共に荷物を確認し終わると、今日の登山経路についてもう一度確認を済ませ、それから入山を始める。
山守りは総勢三十名いるが、二人一組で見回りをしている。
山の入り口が幾本もあり、それぞれに人を割り振ればどうしてもその人数で回さなくてはならない。
今日はこの道、明日はこの道と決めて入っていくのだが同じ山と思えないほどに景色が変わる。
岩山、密林、湿地、雪原と何でもありなのである。
私が組んでいる小隊長は数年前に配偶者を森の中で見送ったという話を一度だけ聞かせてくれた。
ほら、この樹だよと言って嫁の変わり身を指さしたのだった。
その時の心境を伺い知ることは出来ないが、その樹の前で立ち止まる小隊長の背中はいつも寂しそうに見えた。
我らは山を登る者たちの犠牲の上に生き永らえている。
そのことをしかと自覚しつつも、その時がくればもう事務的に体が勝手に反応してしまう。

作物を収穫しながらずんずんと山を登る。
そんな中、背中を山道の脇に預けて動かない男が目に入った。
仕事だ。
その男は小隊長の顔を見るなり苦笑いを浮かべて軽く挨拶をした。
昔の顔なじみらしかった。

「選んだ道は想像以上に険しかった

 もう動けずにこの有様よ

 途中までは実がなっている木があったり、食べられそうな植物が自生していたんだけどな、そっから先は未開の地

 いくらか進んだものの、食べ物が尽きて道を戻った」

山守りは登山者の手助けをしてはならない。
山道は複雑な迷路のようになっていて、山守りのように何度も山に分け入った者でなければ到底戻ることはできないだろう。
不思議なことに山を登っているのか下っているのか、それを体の感覚に頼ると解らなくなるのだ。
その為に道標を作り、山守りは山道を歩み進められるのだ。
小隊長がもういいのかと男に確認すると、その男はゆっくりと頷いて一言告げた。

「できれば、香辛料の成る樹がいいな」

小隊長は一本の細く小さな筒を取り出すと、そこから男の頭の上にぽたぽたと雫を垂らし始めた。
男は見る間に肌の色を変え、その形を崩し、水溜りに変わってしまった。
残された衣服を丁寧にたたむと、男の残した水溜りに先ほどの筒を近づけた。
筒はつつつと、汁を吸うかのようにして水溜りから液体を汲み上げた。
今日はその先にも後にも、「送り」はその男一人だけだった。

日が傾きかけた帰り道、小隊長が歩みを止めた。
その場所は先ほどその男を送ったところだった。
水溜りは消え、地面からは小さな若木が生えている。

「今日もまた、山が潤ったな」

ちいさな道標を後に、小隊長はまた歩き出した。
その足取りは重そうだった。
時折り、その送った男の思い出話を誰に聞かせるでもない声量でつぶやいていた。
いや、もしかするとただの鼻歌だったかもしれない。
収穫した食べ物が重く、体が軋む。
不意に周囲一帯が霞んできて小隊長の背中も山道も遠のいていくようだった。
担いでいた作物が腕をすり抜け地面に落ちる。
その音で振り返った小隊長と目が合った。
口元が動くのに声は出ない。
手にはあの筒が握られていた。


 ー ー ー ー


目が醒めた。
ベッドの上だ。
天井が今朝はやけに近くて、そして部屋全体もなんだか狭く感じる。
頭痛は治まっていたが、体のだるさはいまいち回復していない。
山道からの帰り道、地面に生えた若木に向かって小隊長がつぶやいた台詞が蘇った。

「今のままでも十分な食料は山にあって麓に持って帰ることができている

 それでも誰も登るのを止めない

 なんでだろうな

 どうしてみんな、周りに呑まれて

 山に吸い込まれていくんだろうな」


窓の外はどんよりと曇っている。
あまり食欲がわかない。
とりあえずコーヒーだけでもと思いドリップする。
苦みを含んだ雫がゆっくりと溜まっていくのを眺めていた。




 ー ー ー ー


という、お話でした。

場面設定類語辞典

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