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月詠み 日々 細胞分裂

- ネットの深海から 泡沫の言葉を放ちます -

アイリスの花言葉

時計を見上げると午後三時を過ぎたところだった。
いつも通り、自転車の揺れる影が窓の外から作業場へ入り込んだ。
宅配ポストがコトンと音を立てる。
もう少し休憩を伸ばすことに決め、コーヒーを入れ直す。
作業用のメガネから老眼鏡に付け替え、それから今しがた届いた手紙に目を通し始める。
6歳の女の子からだ。
仕事柄、小さな子どもたちからの手紙は後を絶たない。
手紙にはつたない字で、今抱いている切実な想いが綴られていた。
目の前に並んだ、作りかけの小さな木箱に一度視線を移す。
子の成長を願い、親から子へ贈られる一つの小さな木箱はパズルになっている。
いつか開けられると信じ続けた、この小さな木箱に大きな夢を抱いてしまう子は多い。
この手紙を書いた子は、そんな夢が急に手の中で音と共に崩れ、驚きと戸惑いを感じながらも誰にも相談できずに悩んでいるのだろう。
子ども達は、その原因となる『一つの箱』の意味を薄っすらと感じ始めた時、自ずと将来に対しての不安を抱き始めたりするのかも知れない。
それは大人に向かって成長していく過程での、第一歩を踏み出したということに他ならないのだから心配はしなくてもいいのだが、それは後々気付いてくること。
今、そんな門出に立った悩み多き子どもたちには、私なりの言葉を手紙にしたためて送ることにしている。
どうも文面は堅苦しい言葉になってしまうが、それもいつかわかってもらえる時が来ると信じている。
その手紙には、いつも決まったようにして一つの昔話を添える。
この国では、生後間もない赤子に小さな木箱を送る習慣があるのだが、それがどういう経緯で始まったのかを知ってもらいたい。


 ー ー ー ー


昔、この国が世界から孤立し、今よりずっと貧しかった頃の話だ。
戦で国元を離れた一人の男が、戦地で妻からの便りを受け取った。
日付は半年前のもので、彼の手に渡るまでに何度も修羅場をくぐったことが血染めの封筒から察することができた。
その手紙には子を授かったと記されていた。
男がこの戦地に移されて一年が経とうとしていた。
母子ともに健康であれば、ずいぶんとお腹も大きくなっているだろう。
戦況は思わしくなく、すでに男は生還することを心の奥底では諦めていたのだが、第一子の誕生を思うとそれが心残りとなり、喜びと同時に少し未練を感じてしまった。
我が子へ、たとえ自分が生きて帰られなくても何かできることはないかと考えた結果、何か贈り物をしようという考えに至った。
しかし、ここには大そうなものなどない。
男は、その場に落ちていた木を削り、小さな箱をつくると、それを手紙と一緒に妻へと贈った。
子は無事に生まれたが、男は子を一度もその腕に抱くことなく戦死した。
子は父親の形見をいつも肌身離さず持ち歩いた。
その木箱は不思議な箱だった。
片手にすっぽりと収まる小さな箱は、子を想う父親の心が凝縮されたような優しい丸みを持っていた。
釘を一本も使うことなく、何枚もの形の違う板が器用に組み合わさっていて、とても頑丈に出来ていた。
手紙には、組まれた箱はパズルを解くようにして開けることが出来るとあり、子が無事に成長し、箱を解くその時を今から楽しみにしている、と綴られていた。
子が5歳を過ぎたある日、軽く押したり捩じったりと何気なく触っていた木箱が何かの拍子にばらばらに崩れ、からからと乾いた音を立てて床に零れ落ちた。
戦地から届いた小さな箱にはなにも入っていなかった。
母親から何か入っているかもしれないねと言われていたので、その子は期待して楽しみにしていたのに、手元に残ったのは散らばった木片だけだった。
泣きじゃくる子にそっと近づき、母親は言った。

「よしよし。

 きっとお父さんはね、キミが無事に育ってくれて喜んでいるわよ」



 ー ー ー ー


戦後、この男が作った箱が他の各地でも見つかった。
男は他の戦友にも渡していたのだった。
この戦地からの贈り物の話は静かに広まり、今では誕生した赤子の成長を願う贈り物として根付いたのだった。
そして、私はそんな父の想いを引き継いだかのようにして、縁起物の小箱を作る仕事をしている。
箱作りに向き合っていると、箱の先に誰とも知れない子どもの顔が浮かぶことがある。
そんな時、まるで当時の父の想いが降ってきたかのように思え、そんな時、私は父の愛を強く感じるのだ。



 ー ー ー ー




目の前の茂みに目をやると、薄く青い色をした草花が所々に咲いている。
自国の里にもよく生えていた。
小箱は無事に国へ、妻の元へと届いただろうか。
男の子か女の子か。
この手に抱いたこともないのに、我が子に想いを馳せると、戦場で窮地に追い込まれているというのに不思議と色々な想像をしてしまう。
少し大きくなった子の傍らには小さな箱があった。
常に持ち歩いていた馴染みのあった箱も、いつかバラバラに崩れる時が来る。
小さな瞳の前で、様々な形をした木片が散らばっていく。
箱の中に広がっていた世界は突如ほどかれ、一瞬にして現実の世界へ溶け込み消えていく。
それは当たり前にあることが、いつか急に目の前から消えてしまうことの恐れや悲しさを物語る訓示のようなものになるのかもしれない。
でもどんな時代に生まれようとも、きっと誰しもが喜びと悲しみの交錯する、否応のない世界で生きている。
まだ見ぬ我が子へ。
ただただ強く生きていってほしいと、そう願ってやまない。






 ー ー ー ー


 というお話でした。

iris 〜しあわせの箱〜

iris 〜しあわせの箱〜